―――――久しぶりにケーキを焼いた。



 最後の仕上げを終えてから、わたしは我が力作の全体を見回した。

「きゃーっ 可菜ちゃん、すごいっ 美味しそうーっ」

隣で見ていたお母さんが、ほんとうに嬉しそうな歓声を上げる。

 それなりに長く一緒に過ごしていれば、それがお世辞なのか本心からなのかはすぐにわかる。でなくても、この両親はそんな腹芸なんてできる人種じゃないから―――――だからこそ、わたしも素直に甘えることができる。実の両親の顔なんて、写真以外はもう記憶にも残っていないから………。

「お父さんが帰ってきたら、一緒に食べようね。それまで、つまみ食いしちゃダメよ、お母さん」

 可愛らしくふくれっつらをするお母さんを横目に、わたしはケーキを切り分けて、買っておいた紙の容器に分けたそれを入れる。それを見ていたお母さんが、すっかり普通に戻って声をかけてきた。

「あら、可菜ちゃん、誰かにおすそわけするの?」

「うん。とっても大事な女の子にね」

 ほんとうは、男とか女とかそんなこと関係無いところであの子が大切なんだけど、『女の子』と言っておかないと、両親に何を言われるかわからないから――――お父さんは子どものように泣くかも知れないけど、お母さんはまるで自分が女子高生であるかのごとく、目を輝かせて話を聞きたがると思うし、とりあえずそう言っておくことにした。

 お母さんのお見送りに笑顔で応えながら、わたしは居心地のいい我が家を後にする。そして向かう。かつての我が家へ。

 あの家には、孤独な思い出が大半だったから、家自体への愛着はほとんど無い。あそこでの嬉しい思い出は、あの子がいなかったらできなかった。父もいない、母もいない……いるのは仕事であまり家にいない祖父と、他人ばかり。あの子――――素ちゃんがいなかったら、わたしはいまごろどうなっていたかわからない。

あの冷たい家の中、壊れかけた心臓が停まってしまうのが早かったか、心が壊れてしまうのが早かったか―――――。

 だから今日は、素ちゃんと姉妹水入らずで心ゆくまでじゃれあおうと思っていたのに。なんで………。



「あら。可菜子さんも来たんですか」

 なんで室井友里がここにいるのよ〜っ!?

「悪い? ここはわたしの家でもあるのよ、自分の家に帰ってきて文句言われる筋合は無いわね」

「誰も悪いなんて言ってませんよ。そういえば、やましいことがある人ほど言い訳がましくなるって言いますよね」

 どこか棘を感じる笑顔で、室井友里が告げる。ホントに可愛くないったら!

「…何が言いたいのよ」

「別に〜。一般論を述べただけですよ」

 そっちがその気なら、いつだって勝負に応じるわよ。以前ならいざ知らず、いまならもう心臓だって大丈夫だし、とことん戦えるんだからっ

「あーうっせえっ 何しに来たんだよ、てめえらはっっ」

 ツンドラ気候並みの空気に辟易したのか、ソファの向こうで素ちゃんが怒鳴る。そうだ、肝心の用事を忘れるところだった!

「素ちゃん、わたし素ちゃんのためにケーキ焼いてきたの、食べて食べてっ」

「素子、これあたしの焼いたケーキ。おすそわけだよ、食べて食べてっ」

 な…!

「ちょっと、真似しないでよっ 手作りケーキで家庭的な女の子アピール!? とことんヒロインぶりたいのねっ」

「お嬢さま育ちでろくに家事もしてこなかった人が、気まぐれに作ったくらいで、威張らないでくれます!? こっちは菓子はもちろん、和洋中何でもござれなんだからっ」

 何よ、この子っ あたしととことん戦る気なのね、こっちだって負けないわよっ

「てめーら、いい加減にしねーと窓から放り出すぞ、おらっ!!

 素ちゃんの叫びが、広い家の中に響き渡った。


      *   *   *

 あー、腹が立つ。ホンットむかつくわ、あの女。

こっちは正真正銘血のつながった姉妹なのよ、あたしと素ちゃんとの間には、ぽっと出の他人になんか負けないくらいの絆が存在するんだからっっ

 あんまり腹が立ったので、思わず小石を蹴っ飛ばしたところで、鳴り響くケータイのメール着信音。差出人は、お母さんだった。

『可菜ちゃんへ。今日の晩ご飯は何が食べたい? ケーキに合わせて、洋風がいい? それとも、カロリー控えめのヘルシーなメニューがいい?』

 えっと、お母さん特製のシチューが食べたいな。メール送信、と。

 優しい優しいお母さん。早くに死んでしまった神楽坂のお母さんがくれなかった愛情を、わたしひとりに惜しげもなく注いでくれる。それは、お父さんも同じことだった。ずっと知らなかった愛情を、わたしはふたりにいっぱいいっぱいもらった。
だから、記憶が戻ってすべてを知った時も、神楽坂の家に戻る気にはなれなかった。素ちゃんのことはもちろん大好きで、ずっとそばにいたい気持ちも変わらないけれど、お父さんとお母さんが大好きな気持ちも変わらなかったから。

 そして。同じように、わたしに変わらない愛情を向けてくるヤツがひとり――――――。

 そいつは蹴ろうが殴ろうが、どんな罵声を浴びせようが、わたしひとりに愛をささやいてくる。マゾなんじゃないのと思わず考えてしまうほど、献身的に盲目的に……だってわたしは、あいつのお腹を刺した女なのに。それだって、本気で傷つけるつもりでナイフを手にしたものの、いざとなったら二の足を踏んでいたわたしに向かって、あいつから近づいてきた―――――そしてわたしにそこから逃げるように指示して。誰に訊かれても、『自分で刺した』と言い張ったあの男。

 どうしてわたしのためにそこまでできるの―――――? わたしにはそこまでの価値なんて無い。自分のことで手いっぱいで、他人のことなんて考える余裕の無い女なのに。素ちゃんだけがすべてで、素ちゃんがいればそれでいいとさえ思ってしまう女なのに。何も返すことなんかできない女なのに。

 巻き込まれる。見えなくなる。自分が何を求めているのか。

自分が一番好きなのは誰なのか、わからなくなる――――――。


 気づいたら、目的地の公園の前に立っていた。この中に、少し前に呼びだした人間が待っているはずだった。てゆうか、来てなかったらどうしてやろうか。

などと考えながら入っていったわたしの視線の先で、噴水の縁に腰を下ろしている男がいた。ひとりで待たせて退屈させてしまったかなと思った矢先に、視界に飛び込んでくる女がふたり。どちらにも見覚えは無い。わざとらしくボディラインを強調する服を着て、いかにも流行のメイクをした、底の浅い女。その女がいま、わたしの呼びだした男を前に、媚を売るような笑顔で話しかけている。

「君って面白ーい。ホントに高校生? 見えないよー」

「ねえねえ、マジでこれから一緒に行こうよー。いい店あるのよ。大丈夫、君なら高校生に見えないから、入れるって」

「いや、悪いけどおれ待ち合わせしてるんだ」

 困ったように笑いながら、金髪から元の黒髪に戻した男が答える。無精ひげにも似たひげを生やしたあごをなでるさまは、彼女たちの言うとおり未成年には見えない。

「えー、だってさっきから全然誰も来ないじゃん」

「すっぽかされたんでしょ、だから気晴らしにあたしたちと行こうよ」

「いやー」

 てゆうか、あんたももっときっぱり断りなさいよ。そんなまんざらでもない顔で言ったって、誰も断られてる気がしないわよっ だいたいあんた、わたしのこと好きなんじゃないの!? なに他の女と仲良くしゃべってんのよっ

 むかむかむか。むかつきが止まらない。室井友里とやりあってる時みたいに―――――否、もしかするとそれ以上に、腹が立って仕方が無い。

「悪いね、おねーさまがた。やっぱおれ……」

 ヤツ――――鷹弘が言いかけているその顔面に、紙製の箱がぶち当たる。中身がどうなろうと、もう知るもんか。

「あ、可菜……」

 わたしに気づいた鷹弘が嬉しそうな顔を見せるのを無視して、わたしはきびすを返して歩き始める。もう知らない、あんなヤツ。勝手に誰とでもどこにでも行っちゃえばいいんだ。

「待てよ、可菜子ー」

 鷹弘が背後に追いついてくる気配。だけど、振り向いてなんかやらない。

「………もしかして、妬いてくれてんの?」

 にやにやにや。声を聞いただけでも、そういう表情を浮かべてるのが読み取れるような声で、鷹弘は告げる。それを聞いた瞬間、わたしはカッとなって、勢いよく振り返っていた。

「はあ!? 何寝言ほざいてんの、馬鹿じゃ……」

 思いっきり罵声を浴びせてやろうと思ったのに。その言葉は、最後まで言い終えることはできなかった。鷹弘の、思いもしなかった行動で唇をふさがれてしまったから。

「――――へへ。一年以上ぶりの可菜子の味だ」

 ほんとうに嬉しそうな顔で鷹弘が告げる。

「いきなり何すんのよ、このエロ魔人っ!!

 思いっきり腰を蹴りつけてやったけれども、鷹弘はちょっとよろめいただけで、まるでこたえる様子も無い。それどころか、へらへら笑いながらわたしの横に並んで、一緒に歩きだした。何ついてきてんのよ、あたしは許可した覚えは無いわよっ

 そう言ってやろうと、その顔を見上げたわたしの目に飛び込んできたのは。ボロボロになった紙の箱から、生クリームもスポンジもフルーツもぐしゃぐしゃになったものを取り出して、美味しそうに頬張っている鷹弘の姿―――――。

「へへー。コレ可菜子の手作り? すっげえ美味いよ。おれにわざわざ持ってきてくれたの?」

 ほんとうに、ほんとうに嬉しそうな鷹弘の笑顔………。

「う、自惚れんじゃないわよっ 素ちゃんのために作った余りなんだからっ あんたのために作ったんじゃないんだからねっ」

「うん。うん、わかってるよ」

 ホントにわかってんのっ!?

「余ってもったいないから持ってきてやっただけなんだからねっ 勘違いしないでよねっ!」

「うん。食べ物を粗末にしちゃいけないよなー」

 そう笑って言いながら、長身の鷹弘の顔がゆっくり近づいてくる。




―――――恋というものが甘いのかそうでないのか、わたしにはわからないけれど。

とりあえず、もう少しお砂糖を控えてもよかったかも知れないぐらい、ケーキの味は甘かった…………。





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